「ふつう」について考えた日のこと
8月の終わりに一つの研修に行きました。
LGBTと医療福祉についての研修です。
LGBTとは
L:女性同性愛者
G:男性同性愛者
B:両性愛者
T:生まれた性別と認識している性別が異なる
以前、男の子の利用者さんに多量服薬をしてしまうということで訪問していたのですが、理由がわからず関わっていくうちにゲイであることをカミングアウトしてくれ、それを言えないことと、好きになった男の子との関係が上手くいかないことを相談できないことが、彼を苦しめ多量服薬に至った経緯が判明し一緒に方法を考え、結果お母さんにカミングアウトする選択を選び、カミングアウト後から全く多量服薬をしなくなり訪問も終わることになりました。
その経験があったため、今回の研修には興味深く参加させて頂きました。
研修のはじめは、医療現場における同性パートナーの取り扱いということで弁護士の先生の講義。医療現場で延命措置の同意などを同性パートナーの場合どうすべきかといった内容で、まだまだ課題は山積みといった状態でした。
後半はグループワークで他職種の人たちとLGBTについて考える時間でした。
医師や看護師、療法士やケースワーカーやLGBT支援グループ、新聞記者の方もいらしていました。
新聞記者の方は翌日には大阪を離れサンフランシスコで貧困層のLGBT支援に行かれるとのことで、世の中には知らないことだらけで、世の中には素晴らしい取り組みをされている人が沢山いるんだと心底自分の無知さを実感しましたT-T
グループワークでは自身がなぜ参加したのかということを自己紹介する場面があったのですが、参加者の方には当事者(LGBT)の方もおられ、グループワークの中で自分の「ふつう」は自分だけのふつうであり「普通は○○だ」などの言葉は不用意に出すべきではないことを改めて感じた時間でした。
女性は普通、男性と恋愛をする。
男性はネクタイを締めスーツを着るのが普通だ。
女性は女性トイレに入るのが普通。
男性はスカートを履かないのが普通だ。
この一見当たり前の「ふつう」に苦しめられている人も沢山いることを、もっと知るべきだと思いました。
ふつうに苦しめられている人たちは、それをカミングアウトすることさえも大きなエネルギーを必要とする状況であること。それが少しでも世の中に浸透して欲しいと感じます。
私たちが関わっている精神疾患も同じで、
普通は聞こえない声が聞こえる人・普通は仕事してていい年齢なのにできない人・普通自分の体を傷つけないけど傷つけてしまう人・普通そんなに大したことないいことが不安で仕方がない人・普通夜は寝るのに眠れない人・・・
自分の価値観で「ふつう」を掲げると傷つけてしまうことも多くあります。
自分にとってはふつうじゃなくとも
「その人にとってのふつう」を受容していくことが相手を理解する上で大事である。
そう思った時間でした。
今の世の中、昔と比べると寛容な部分も多くあるとは思いますが、まだまだいろんな場面で偏見が残っています。
そのほんの一部、ほんの少しだけでもこのブログを読んだ人たちが
「ふつう」について考えてくれ凝り固まった「ふつう」が溶けたらと思います^^